10年前だったか、知人で、思い立って、
列車によるユーラシア大陸横断旅行をした人が居た。
リタイア後行くつもりで、ずっと暖めていたプランらしかった。
列車を乗り継ぎながらの、約1ヶ月の長期列車の旅。
旅行会社では普通取り扱っていない場所も経由していて、
何社か相談して回ったが、方針を変えた方が良いと言われて
困っていたので、知人の旅行会社社長を紹介した。
その社長は、大変なベテランである事は当然だとして、
その知識の豊富さと、きめ細かい対応は、真似できるものではない、
という位、信頼できる人。
数日後、いい人を紹介してもらったと、感謝の電話をもらった。
後で、その社長に聞いたら、他の旅行会社で断るのは当然で、
かなりの離れ業で、苦労して、本人希望のコースの全てを
用意したらしかった。
みんな、こうと決めたら、あきらめない人達ばかりだった。
まだ珍しかったノートパソコン、売り出したばかりのバイオの
カメラ付き小型PCを持って行き、車中で仲良くなったその土地の
人等と一緒に写った画像がメールに届いた。
時々、パソコンの調子が悪くなるらしく、途絶えると、その度に、
みんなで心配し、メールが届くと、ホッとしたものだった。
何箇所か、危ない目にも会ったらしい。その度に、
旅行会社の社長が、あらゆる手を打ち、危険を回避しつつ、
無事、最後の地、パリまで、たどり着いた。
パリでは、洋倶楽部に出席してくれた事のあるY画家に会いたいと
言うので、連絡してあった。一ヶ月ぶりで、日本人と話をして、
ホッとしたらしい。
日本に戻ってきた時は、すっかり、痩せて、やつれたかの様に
見えたけれど、本人は、やり遂げた満足感でいっぱいだった様
だった。そして、帰国第一声の感想は、「日本は、世界で一番、
社会主義の国だと実感した」だった。
その数年後、彼は亡くなった。
当時の仲間がみんな「あきらめない」人達だった事を思い出した
のは、先日、こんな事があったから。
工房移転の際、最後に大型家具を廃棄処分する事になった時の事。
普通に依頼すると、びっくりする見積額だったので、まず、
無料回収業者や、細切れにしてゴミで捨てたり、色んな工夫をして
量を減らた。そして、最後にどうにもならない大型家具が残った。
区の回収に依頼する事にしたものの、指定場所に移動する手が無い。
明日から内装業者が入るという日に、その内装業者の一人が、
見かねて、プライベイトで夜中にやってくれる事になった。
これで間に合うとホッとした。
ところが、当日夜、重すぎて持てない、分解する道具がないから
運び出せないと言って、持てる物だけ持って、半分以上の大型家具を
残して帰ってしまったのだ。夜中の事でもあって、しばし呆然。
私の知る人間関係の中で、こんなに簡単にあきらめる人は居なかった。
文句を言っても始まらず、夜中に来て現金引換えで引き取ってくれる
業者を探して、なんとか、ギリギリ間に合った。
随所で主となる精神は、遠くなってしまったのだろうか、と思い、
決めた事や、引き受けた事は、夢中になってやり遂げる事を楽しんだ
昔の仲間が懐かしく思い出されたのだった。