世の中は「個人の時代」らしい
けれども
どうしてだか、明確ではないけれど
私には、昔の方が「(私の考える)個人の時代」であったように
思えてならない
なぜそう思ってしまうのだろうか
確かに、色々な面で便利にはなった
人を頼らず自立して生きるにしても苦労がないかの様に思える
でも
本当にそうだろうか
逆行してはいないのだろうか
そう感じる事が増えている気がしてならない
先日、携帯電話の機種を変更、買い換えた
買ったその日から、不良品ではないかと思う不具合があった
相談に行って
巨大デパート並みの大きな店だというのに
買った店で全ての対応ができない事に驚いた
最寄りの代理店に行くように言われ
結局、何度も足を運ぶ事になった
そして
決まり事優先の素っ気無い対応の数々に
いささか違和感が残り
責任者を出して欲しい
と、最後には、言わざるを得なかった
帰り道
三越の接客の様な手厚い対応までは望まないけれど、
どうも、どの人もロボットと話をしているようで
心がないッ
客への対応というものは
これでいいのかッ
と、連れに不満を愚痴ってしまった
インターネットの時代である
パソコンは、セキュリティ管理をしていないと
ウィルス感染がこわい
だから、何らかのセキュリティ会社と契約する事になる
そうやって、パソコンは
自分の見えないところで
遠隔管理、遠隔操作される事になる
勝手に、バージョンアップするし
なかにはバージョンアップしないと機能がストップしたりする
客である使い手は
見えない先から、パソコンに届く「指示」通りに
すっかり操られている
そんな気になってくる
そうやって、手懐(なず)けられて
今度は、ソフトである
パソコンを使うには、自分の思い描いた通りに機能させる為に
さまざまなソフトを買うことになる
自分の手足になってもらって便利に使おうと考えて
そうするのだけれど
どっちが主役だか疑問に思わざるを得ない事態に
振り回される事になる
我家のセコムセキュリティは、まだいい
誤作動等があると、人が飛んできてくれる
勝手にバージョンアップなどしない
イヤなら使わなければいい
トイレも自動洗浄に慣れてしまうと
公衆の洗面所で流すのを忘れたりする
でも、自己管理が出来なくなる不安があるなら
全てのサービス機能を止めて、昔の様に最低限の機能のトイレに戻せばいい
自分の理解と判断で機能選択でき、
人の手をわずらわすことはない
こうでないと、私は落着かない
さて
絵の世界にも変化が起きているらしい
公募展で、如何にも自分の手で全てを描いたように見せて
実は、そのほとんどをコンピューターで描き、その上に
油彩を乗せて仕上げたというものがあって
審査員を悩ませている
そんな話を聞いたのは、
すでに、もう10年も前の事だったかもしれない
価値感の違いといえば、それだけのことだ
絵に、どれが正しくて
どれが間違っている
などという事は、存在しないはずのものだから
審査員の方々は、そんなことはわかっていて
別の角度で悩んだのだと思う
時代は進化する
でも
進化ばかりではなく退化するものだってあるはずだ
「心」と「文化」
大事な、このふたつはそのどちらも時代に影響されるものだけれども
その時代その時代で
温かく「人」に守られ、育まれ
無くてはならない
「人」に大切なものとして、扱われていて欲しい
そんな偉そうなことを思いつつ
私はというと
今、久しぶりに油彩画を描いている
しばらく水彩画ばかりを描いていたので
すっかり、絵の具は頑固に固まっていて
おまけに、油彩画の勘も鈍ったのか
日曜日にしか描かない、描けない環境にあって
その貴重な日曜日に
同じ個所を描いては消し
描いては消し
そんな事を繰り返していて
価値感の違いだの
心だの文化だの
と
評論みたいなことを言うのは
もとより
おこがましいことだろう