オールドハワイ人は文字を持っていなかったらしい
代りに、踊りの所作でメッセージを伝えた
私たちが知っているハワイアンダンスは
祈りのダンスであって、所作に意味がある
文字がないから文化がないという事ではない
文化を継承していく手段として
オールドハワイ人にとって
今も変わらず
ハワイアンがとても大切なものなのだろうと思う
(岡部進著「生活文化と数学」参照)
日本も、古来より
口伝というものがあって
ごく一部の人達だけが、伝え聞いて継承しているらしい文化がある
漢字の他にひらがなやカタカナと
オリジナルの文字と言葉の
豊かな文化を持っている日本人だけれど
口伝は、限られた一部の人が知っているだけだから
何らかの事態が起きて、その継承がままならなくなると
今見える現象と
今生きている人の記憶にあるものだけが残って
その前の歴史は忘れられて
しまうことになる
大事な、その根っこが消えてしまう
・・・と思ってしまうけれど
それは、あくまで、門外漢の素人考えだから
口伝継承の世界に居る方たちは
そんなことにならない様
工夫に工夫を凝らしているに違いない
それに
何事も良い点悪い点が背中合わせになって存在する様に
口伝だったから
純粋なまま育み守り、存続継続できたという事でもある
西洋の文化は、それと比較すると
何から何まで、トコトン会話し、文字で残した文化
なのではないだろうか
言葉の文化ということだろうか
そんなことを思う
(中山元著「はじめて読むフーコー」を
読んだ直後だから、そう思うだけかもしれないけれど)
いや、知らないだけで
西洋文化にも、同様に口伝で伝わる文化は
存在するのかもしれない
などなど
最近、「読んだら」とすすめられる本が
哲学入門の本が続いた為か
いつになく
言葉の文化を考えたり、
自分自身、ボキャブラリー(語彙)が枯渇気味だよな~
などと思ってしまう
そして
国語って大事だと改めて思う
グローバルの時代だから、世界共通語である英語が大事
それはそうだし、わかっている
でも、やっぱり、その前に自国語だろうな~
だって、日本語は
思いを伝える豊かな言葉が豊富にある贅沢な言語で
それ自体が文化遺産みたいなものではないかしら
そんな事も思う
という訳で
これまでになく日本の文化を思うようになった
今日この頃ではある
日本文化のひとつである木版画
その木版にこだわる版画家
後藤英彦さんを思い出した
今もご活躍に違いないけれど
私の話は、およそ20年も前の話である
摺る時に使う「ばれん」へのこだわりを聞いた
使用する「和紙」へのこだわりを聞いた
とても貴重なお話しだったけれど
改めて、ここで書こうと思うと
言葉が出てこない
その作品は、当時の私にとっては
正直、難解だった
何しろ、縦の長さが1メートルはある
大きな和紙に、大きな円をひとつ書いて
いや・・・彫って摺ってあるだけ
同じく大きな和紙に
大きなゾウリムシのような楕円形を
ドンと書いて
いや・・・彫って摺ってあるだけ
いやいや・・・
こんな書き方をしたら
叱られそうである
ただ
その迫力や
ピンと張り詰めたものを感じる
無駄のない空間や清潔感
などなどが
好ましく思ったし
何より
ご本人の語る木版画への思いに
強く心を打たれた
残念ながら、手元に作品は残っていない
残っていたなら
改めて、たっぷり眺めて
昔と今と
どう感じ方が違っているか
感慨にふけったかもしれない
また
お会いすることもあるだろうから
その時には
改めて
ばれんや和紙へのこだわりの話を
聞いてみたい
さて
お絵描き少女だった私の幼少時代の話
図画工作の時間で
当時流行していたフラフープを楽しむ
女の子の様子を彫って摺った木版画が
賞をとって
校内に貼りだされた事がある
どんな賞だっただろうか
憶えはないけれど
ま、飛び切りの金賞だったことに
しておこう!